【看護師】25歳で田舎の診療所へ転職した私が、看護師を一生の仕事として続けられた理由は・・・。

【看護師】25歳で田舎の診療所へ転職した私が、看護師を一生の仕事として続けられた理由は・・・。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
32歳

【当時の職業】
診療所で看護師として働いていました。

【当時の住まい】
診療所が借りていた公営住宅で家族と暮らしていました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、同じ業種の別の職場で働いている





【就職のきっかけと経緯】
小さな町に結婚のために引っ越しました。
そこでは看護師の慢性的な不足があり、町役場からすぐにでも働いて欲しいと依頼があり就職しました。

【環境と仕事内容】
診療所なので12床以下の入院病床がある診療形態を取っていました。
看護師は5〜6人体制で事務職員が3人と医師1人で診療所を回していました。
私は主に看護師業務でしたが、管理業務も兼務していたので経理以外の全てのことを把握していなければいけないポジションでした。
普段は外来・病棟の仕事と第一次救急をとっていたので、不定期に救急外来も行っていました。
必然的に休みは買い上げかサービス残業だったので、長期の休みはスタッフに提供しても自分は取れることは無かったです。

【大変だった時期】
25歳で転職して15年働きましたが、子育ての時期と救急時の呼び出し対応の両立が大変でした。




【大変だったこと】
一番大変だったことは、予定が立てられなかったことです。
小さな町の少ない看護師でしたので、需要と供給のバランスが取れず町民の需要に対して5〜6人で対応していることで、いつ呼ばれても不思議ではなかった職場でした。
例えば子供の授業参観日や運動会等はフルで参加できず、同じ境遇のスタッフと交代で一時間だけ見に行くなど、子供には寂しい思いをさせてしまいました。
運動会の最中に救急車が走っているのを見かけると、逆に「呼ばれるから行きなさい」と送り出される始末でした。
大体職場で過ごすことが多いので、用事のある人は大概職場にきて対応していたようなものでした。
思い返すと年休取れたことはほぼ無く、結婚式呼ばれても弾丸で帰ってくるなど、自分の時間を削って働いていたと思います。

【大変だった期間】
初めからずっとでした。
(15年間)




【当時の心境】
正直「私たちしかいないんだ」と思って働いていたので、不思議と嫌悪感はありませんでした。
町民の皆さんが感謝してくださる言葉にやりがいも感じていたので、看護スタッフも仲間意識が強かったと思います。
チームワークも良かったので、不平不満などあまり出ていなかった職場でした。
しかし、子供の進学を考えるとこのまま働いていくことは不可能だったので、辞めるときに後ろ髪を引かれる思いは強かったと思います。

【職場が大変だった原因】
現場の診療体制が(所長の方針が)「患者さんを断らない」ということだったので、24時間電話と外来を少ないスタッフで対応してきたことです。




【仕事で良かったこと】
嬉しかったことは、感謝をされていたことです。
24時間断らず患者を受け入れることは実際にとてつもなく大変でしたが、頼られることは悪いことではなく、逆にやる気になっていきました。
現場も「今日も帰れない」とぼやくことはあっても、逃げる職員はいませんでした。
人間、必要とされることが一番のモチベーションなのかもしれません。




【特にひどかった最悪の出来事】
一番酷い思い出は自殺者を検死することです。
田舎なので、どういう状況でも救急車が入るとまず診療所にくるため、お亡くなりになっている方も搬送されます。
それは医師から死亡診断を受けていないため、救急車が呼ばれたら搬送しなければいけないからです。
そうすると警察の方がくると、検死作業を診療所の一室を使う時もあり、その場合お手伝いを依頼されることがあります。
全く知らない人でも自殺は普通と違うご遺体なのに、田舎は自殺者も顔見知りなことが殆どです。
無念の気持ちを抱えたまま検死作業を手伝うことはとても嫌でした。
どういう気持ちで行って良いかの正解が分からず、気持ちの整理がつかないままご遺体に触れるのが一番嫌な仕事でした。




【相談した人・助けてくれた人】
看護の場は、話しても理解出来る人は殆どいないため、どうしても同僚との愚痴大会が多いです。
相談も愚痴も職場の仲間とでした。
救いの言葉は町民からの感謝の言葉です。
「ありがとう」に勝る言葉はありません。
今でもそこは同じです。

【改善のための行動】
小さな町でしたので、役場の職員と話し合う機会もありました。
「軽症ですぐ外来診察しなくてもいいものは時間外ではなく時間内に来て欲しいこと、むやみに救急搬送を依頼しないでまず電話連絡をして欲しいことを回覧板で回してもらったりと、役場の職員と会議を重ねたりしました。




【現在の状況と心境の変化】
私は15年働いて、そこで骨を埋めてもいいかな?とまで思っていたのですが、やはり子供達に負担をかけていることのリスクは計り知れなく、今子供達に向合わなければ大変なことになると思いました。
長女の進学に伴い、都市部に長女を下宿させて一人で出すか、旦那さんを単身で町に置いて子供について引っ越すかの選択に迫られました。
結局子供について引っ越すために診療所を辞めました。
それから10年以上経ちますが、そこに後悔はありません。
ただ、あの頃のやりがいは今の職場で得られることはないですが、子供達の成長が今の私のモチベーションです。

【学んだこと】
他人に必要とされることが自分のモチベーションになることです。
自分のした仕事に感謝されるということは、自己肯定感にも繋がります。



【当時の自分へのアドバイス】
仕事一筋で家庭を顧みずなことをしていた自分に、やはり家庭と子供は大事だよと教えてやりたいです。
数々の分岐点で選択を間違えたら、今頃子供の気持ちは私から離れていっていたでしょう。
今の幸せは家庭があるからだと思います。
しかし、あの頃仕事に燃えていた自分もまた正しかったと思いたいです。
看護師を目指した頃はあまりモチベーションも高くなく、若いので遊びたい気持ちの方が強かった私が、田舎の看護師をすることで看護の仕事が天職だと思えたこともまた財産になったと思います。