【産婦人科の看護師】緊急オペや分娩がいくつも重なり、スタッフが足りないなど大変でしたが、やりがいのある仕事でした。

【産婦人科の看護師】緊急オペや分娩がいくつも重なり、スタッフが足りないなど大変でしたが、やりがいのある仕事でした。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
病床10、オペ室、分娩室、新生児室、産婦人科・内科・小児科

【当時の住まい】
病院の寮に住んでいました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
本当なら整形外科へ行きたかったのですが、医師会から看護学校入学見込みとの紹介で、産婦人科、皮膚科、耳鼻咽喉科しかなく、その中から産婦人科を選びました。

【環境と仕事内容】
一度OLをしてからだったので、直の先輩はほとんど年下。
ですが2年目くらいで婦長レベルになり、皆のシフトも組んでいました。
オペ室では機械出し、分娩室では助産師さんがいない時は助産師と同じような業務をこなし、新生児室では新生児のミルクや沐浴、病棟勤務、外来では中絶手術や採決、診察介助、調剤など。
スタッフは医師1人、助産師1人、パート准看護師3人、看護師3人、准看護師4人、調理師1人、清掃係1人の計14人。
夜勤は当直1人、副直1人。
オペは6人。
新生児室1人。
夜勤は月に8回ほど。
病院は2階建てでオペ室は診察室の奥。
病室は2階で、分娩室と新生児室もあります。
その上3階に3部屋、4階に2部屋の、5部屋が寮でした。

【大変だった時期】
看護学生から働きながら学校へ通っており、5年目くらいで救急車3台、そのうち1件緊急オペ、2件分娩で28時間労働くらいしたのが一番大変でした。




【大変だったこと】
特に大変だと思うことはなかったのですが、看護学生時代が、昼間は学校、その後に看護助手として仕事をしていて、夜勤もこなしていたので、翌日の学校が凄く眠くて大変でした。
実習が始まった頃では、予習や復習などのレポートも膨大にありましたし、夜勤で落ち着いている時にレポートを書いていたり、仕事が終わってからやっていたりと、寝る時間がなかったのが大変でした。
あとは患者移送の時にベッドからストレッチャーへ移動する際、ぎっくり腰をやったのが辛かったり、人が少ない時は熱があっても患者さんには内緒でこっそり病室で点滴しながら勤務したりと、ずっとではなく、その時、その時で大変なことはありました。
あと、私は注射や採血が上手だと患者さんから人気で、よく指名されていたのですが、それを当時いた婦長が快く思ってないようで、凄く嫌味を言われたり、難しそうな血管をした患者さんがいると、いつも回されてました。

【大変だった期間】
5年くらい務めました。




【当時の心境】
当時いた婦長さんが気分屋すぎて、他のスタッフ全員が気を遣うのが苦労しました。
あとは、お局的な看護師が一人いて、皆から嫌われてるようでした。
私は最初は可愛がられていましたが、おかしいことはおかしいと言う人なので、その先輩がおかしいことをしていたのを口出ししたら、それから嫌がらせをしてくるようになりました。
ですが、私は当時、なんだこいつ。
にしか思ってなかったので、何も辛いとかはなかったです。
褥婦さんの退院指導として、沐浴指導が一番好きでしたし、新人研修も結構、好きでした。
新生児のミルク時間も、夜勤の2時間おきは大変でしたが、みんな可愛くて楽しかったです。
慣れてしまってベテランと言われた頃は、エレベーターの中で産まれてしまったり、病室で産まれてしまったり、救急車の中で産まれてしまったりと、ドクターが到着する前に自分でお産の介助をした時は、更に自信がついてました。
一番いやだったのは死産扱いの中絶手術。
初期の中絶はまだいいですが、死産扱いとなると分娩室でオペするので、頭がちぎれたり、息してちゃんと出てきたのに亡くなるまで放置とか、精神的に辛かったです。

【職場が大変だった原因】
夜勤が一人というのが一番不満ではありました。
何かあった時に副直とドクターを呼ぶのですが、緊急オペともなると全く仮眠すらとれないので、夜勤の一人は辛いです。




【仕事で良かったこと】
分娩室やオペ室で、始まる前や終わった後、退院される時などに、「あなたがいてくれて良かったわ」「手を握ってくれてて凄く安心した。
有難う」
など、お礼を言われることが本当に嬉しかったですし、やはり入院患者さんにも、「他の人は何度もやり直しして痛いけど、あなたはやっぱ違うわね。」と、点滴や採血、注射では言われてました。
この時に独自に学んだことなのですが、やりずらそうな血管の人の場合には、「痛くないけど失敗して何度か痛い思いをする場所か、ちょっと痛い場所だけど一度ですむ場所、どちらがいいですか?」と、聞くようにしていました。
あとは患者さんが選ぶことなので、こちらは血管の良い場所でするか、何度か失敗を許されてる難しい場所でするかですので。




【特にひどかった最悪の出来事】
私が夜勤の時に緊急オペが2件入ったのですが、副直は当たり前に呼び出せたのですが、他の寮にいるはずのスタッフが全員、遠出をして飲んでいたということがあり、直ぐに先生が他の病院と連絡をとって他の病院の先生に助けてもらったことがありました。
看護師2人にドクター2人で、それでも人数は足りませんでしたが、なんとか2件こなしたことです。
私と副直は良かったのですが、他のスタッフは全員、当然、物凄く怒られていました。
あとみっつあるのですが、ひとつは、これも私が夜勤の時だったのですが、救急車が2台、自力で家族の方に運ばれた一人の、計3人のお産が一度に重なり、分娩室は2つしか分娩台がないので、急遽臨時にひとつ、分娩台を手造りし、3人同時に誰が一番最初に生まれるか、あたふたしていました。
しかもそれは大晦日。
これは本当に忘れられない思い出です。
ふたつめは、死産扱いの中絶手術。
死産扱いということで、無理矢理薬を使って産ませるということなので入院してもらうのですが、トイレでNCが鳴り、トイレしたいと思ったら…と、頭がトイレで出てしまっていました。
そのまま車いすに乗ってもらって分娩室へ移動して産んだのですが、しっかりと赤ちゃんの姿なのに体は風船のように半透明。
息もしていたので、「この子は本当はまだ生きたいと思ってこうして息をしてるのに…」と思いつつ、放置をすることに。
当直室は分娩室の隣にあり、小窓がついていて覗けるようになっているのですが、赤ちゃんが亡くなったかどうか確認するのが嫌でしたし、亡くなったと思って棺に入れる際、まだ生きていてビクッと赤ちゃんが動いた時には、本当に叫びそうになり、心臓が止まるかと思いました。
みっつめは、私がまだ新人だった頃、分娩室で産まれる直前まで赤ちゃんの心音も元気が良かったのですが、お産に時間がかかりすぎてしまったのか、赤ちゃんの心音が弱まり、みんな焦って無事に生まれたのですが、ここで初めて心マを経験し、しかも大人ではなく赤ちゃん。
先輩と交代で頑張って心マをしたのですが、その赤ちゃんは亡くなってしまいました。
お母さんも凄く泣かれて、私も涙出そうなのをこらえ、「これがもし、新人の私じゃなくてベテランの人が心マしてたら助かったかも知れない…」と、凄く自分を責めて頭がおかしくなりそうでした。
初めて死を看取ったのもこれが初めてでした。




【相談した人・助けてくれた人】
やはり、まだ新人の頃に死と遭遇した時、自分じゃなかったら助かったかも知れない。
と、凄く心が苦しくなってうつ病にもなりかけたことがあり、何を言うまでもなく、婦長さんに心療内科を進められたことがありました。
自分は普通にしていたつもりでしたが、やはり周りからはおかしかったんだと思います。
誰もが通る道のようで、私のように自分を責めて耐えられなくなって看護師を辞める人はやまほどいるようです。

【改善のための行動】
心療内科は予約したのみで、結局、自分は大丈夫だと自己判断で受診を辞めました。
確かに病院は、生だけではなく、死もある場所であることを再認識し、自分のことばかりではなく、亡くなられた方の身内の心のケアもしなければならないですし、自分よりもまずはそちらを優先すべきだと、自分で反省して心掛けるようになりました。
それからは、自分じゃなかったら…と思うよりも、精一杯やるだけのことはやりました。
と言えるようになりました。




【現在の状況と心境の変化】
20年くらい当時からは経っています。
当時はどんなに大変なこと、辛いことがあっても、毎日が自分がなりたかった看護師という仕事についている嬉しさと、やりがいがある楽しさで満たされていました。
でも、それは今思えば最初の頃は自分のエゴのような感じでした。
経験を積むだけ自信もつきますし、責任の重さ、重大さ、看護の在り方を学んでいけたのではないかと思います。
今は全く別の職業についているので、ブランクがあります。
今思うと、よくあんなことできていたなぁと、自分で当時の自分に驚くくらいです。
本当なら最終的には救命救急センターで活動したいと思っていましたが、点滴と採血くらいしか自信はありません。

【学んだこと】
最初は整形外科に勤務したかったのですが、人の生と死について、しかも産婦人科という特殊な科でより学べたことは本当に良かったと思っています。
もし、整形に努めていたら、それこそ生と死にほぼ関わることはなかったでしょうし、分娩のすばらしさもわかりませんでした。
今では務めたのが産婦人科で良かったと思っています。
自分の体のことも産婦人科にいたので、不正出血があっても、あ、排卵出血だな。
とか、そういった細かなところがわかりますし、友達に相談されても直ぐに答えられるのでありがたいです。



【当時の自分へのアドバイス】
ただただ、毎日が大変だけど楽しい。
という気持ちは仕方ないですが、病院では命を預かる場所です。
新人の頃は仕方ないのかも知れませんが、学校で学んだことをもっと活かして欲しかったです。
だからドジっ子とかおっちょこちょいだなんて言われるんです。
でも、2年目くらいからは動けるようになっていて、きちんと学んだんだな。
と、安心しています。
その気持ちで患者さんと接するから、患者さんにも有難う。
とか助かりました。
とか、やりがいのある嬉しい言葉をもらえたんだと思います。
これは人生において、誇りに思っていい仕事だと思いますよ。